名古屋市伏見駅から徒歩2分。世界初、漆や螺鈿七宝などを爪に施す伝統工芸ネイルサロンです。
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2022.08.22

恋に落ちました

こんにちは、ネイルサロン藍rishの山田です。
この記事を覗いていただき、ありがとうございます。

変なブログタイトルですよね、大丈夫ですちゃんと回収します。笑

さて、帰国して早くも1ヶ月が経ちました。
4月の26日から7月22日まで、約3ヶ月間日本をお留守にさせていただき、アメリカのLos Angeles・New Yorkをメインに滞在していました。

 

渡米前の気持ち

これまでも海外に訪れたことはありましたが、3ヶ月という期間の滞在は今回が初めてだったので…出発前はメソメソ不安がって情けない姿をお見せしてしまった方もいるかと思います。ごめんなさい。笑
何がそんなに不安だったかって、
・コロナ禍の渡米
・英語力2くらい(中学英語を100とする)
・入国審査が厳しいらしい(下手したら強制帰国)
・アメリカは治安が悪いらしい
・車の運転

あげ出したらキリがないんですけど、全然こんなもんじゃないんですけど。
もう言ってしまえば何が不安なのかもわからないくらい全部不安だったんです。笑
正直出発前の1週間は ワクワク<ソワソワ でした。
留学とか会社のサポートがあってとか、海外に詳しい人が一緒にいてくれるだとか、
そういう後ろ盾が何もない状態で、人生初のアメリカ本土。
ハワイやグアムに1週間程度旅行へ行ったことはあっても、もう全然違うわけです。気持ち的に。

じゃあ今となってはどうだったかって、
ありがたいことに、見事に取り越し苦労で終わったわけですけれど、笑
それは経験を経て分かったこと。
目の前にその状況が迫っている当人だからこその葛藤がありました。
その葛藤そのものが今となっては財産だし、必要な通過点だったのだと思っています。
この先私と同じように何かにチャレンジしようとしている人に、きっと私はめちゃくちゃ優しくなれると思う。笑

 

アメリカに到着してみて

家を出発して、新幹線に乗って(ここに至るまでに既にめちゃくちゃ色々あった笑)
電車を乗り継いで(さらにここでもハプニング!)成田空港へ。
もうドタバタすぎて。笑
自分でも「さすが私!!このおバカさん!!」と笑うしかない始末。

結局全ての不安が取っ払われたのは入国審査を無事通過した瞬間でした。

もう心の底からほっとして、出国前3ヶ月間続いた「ソワソワ」がやっと、なくなったんです。
今思うと結局そこが一番不安だったのかもしれないですね、”英語力2″も相俟って。

外に出るととっても清々しくて、気持ちの良い気候で、太陽が眩しくて空が青くて
時差ぼけと移動の疲れも忘れてナチュラルハイな状態で。笑
心配していた車の運転も、最初は背中に汗が伝うほどヒヤヒヤだったのですが、徐々に慣れていきました。

最初の3週間のLA滞在は家族も一緒だったので、
Los Angelesといえば!という主要な観光地をほぼほぼ制覇して行きました。
私は自分のやるべきこともあったので、家族とは別行動になる日ももちろんありましたが、
日本から遠く離れているのに、帰れば家族がいるという感覚は、どこの地にいてもほっとするものがあって。
どこに住んでいたとしても、家族のいる場所が私の帰る場所なのだなと感じました。
そういう意味では常に「日常」がいつもそこにあったので、結局日本にいてもアメリカにいても変わらないライフスタイルだったように感じます。
朝はできるだけ早く起きて、朝ルーティン化している仕事をして、手帳で日々を管理して、ご飯を食べて、出かけて、綺麗な景色を見て「綺麗だね」と言って、疲れて帰って夜ご飯を食べて、お風呂に入ってお布団で寝る。
そういう「日常」。

 

 

Los Angeles と New York

最初の3週間はLAに滞在し、NYに移動。
このタイミングで夫と娘は日本に帰国しました。
言うまでもなく、夫と娘の帰国3日前から私は精神不安定。笑
娘の寝顔を見れば泣くし、笑った顔を見れば泣くし、手を繋げば泣く。
もう何しても泣ける!!!笑

ちょっと脱線するのですが、今回の渡米で私は約2ヶ月間娘と離れて過ごしたのですが、
「離れている期間どうやって娘とコミュニケーションを取っていたのか?娘は大丈夫だったのか?どうやって家族の理解を得たのか?」とご質問をいただくことがよくありました。
普段プライベートなことはあまり表に出さないのですが、本当によく聞かれるので、どこかのタイミングでブログに綴ろうかしらとも思っています。

そんなこんなで家族と離れたことによってぐずぐずになったメンタルと、娘にプレゼントするために手作りカレンダーを一夜漬けで作ったことと、
そして何より移動の飛行機がLCCで狭い上に、二人がけの席のお隣さんがとってもとっても大きな大きな大きな男性だったことで圧迫感による軽い酸欠状態となり、笑
人生初、飛行機の中でぶっ倒れました。
コンディションが悪すぎましたね、自分の責任もある。
でも何よりお隣さんがとってもとっても大き(以下略)

貴重な経験でした。機内お騒がせしてごめんなさい。
皆様もお気をつけください。

 

 

前置きが長くなりすぎましたが、笑
LAでは4箇所ほどキッチンのあるホテルを点々として過ごしていたのですが、
NYに到着してからは一つのホテルに3週間ずっと滞在していました。
場所はマンハッタンまで電車で20分ほどのクイーンズ。
ホテルのすぐ裏には刑務所があるという、治安がいいのか悪いのかよくわからない立地。(一応治安いいらしいです笑)

 

 

車移動がメインの LAとは違い、 NYでは地下鉄(Subway)電車移動がとっても便利。
メトロカードを買って利用期間分チャージすれば、基本どこにでも行けます。
LAの車はとにかく飛ばすので、NYではそういった運転事故による心配はないものの、地下鉄はホームレスの方も多く、ヒヤッとする場面もありました。
LAでは車移動が多い分、危険な地域には意識して近づかないようにすれば普段危険を感じることは少ないのですが、
NYでは毎日のように電車を利用するため、ホームレスの方やマリファナ常習者の方との接触を避けられないと言う一面もあります。
同じアメリカでも生活スタイルや習慣はまるで違うので、気をつけるポイントも違います。

LAとNYでは英語も少し違います。
NYは例えるならば東京のようで、全てが早い。
英語も、時の流れも、街も人も流行も、何もかもがスピード感を持って進んでいるような印象でした。
最初は英語が聞き取れなさすぎて、まるでラップのようだと思いました。笑
ただNYでは英語を喋らざるを得ない場面が多く、最初は全然聞き取れなかった英語も、3週間経つ頃にはある程度聞き取れて、ちょっとした会話なら成り立つようになっていました。
NYで会話しないといけない状況に置かれたら、英語の上達はかなり早いだろうなと思いました。

 

そして気になる物価の問題。

NYは物価が高いって聞くけど、どう!?とよく聞かれるのですが、
私の感想としては「LAもNYもどっちもめちゃくちゃ物価高い!!」です。泣
インフレと円安のダブルパンチ。旅行者には最悪のタイミングでした。

LAもNYも場所によって物価もかなり違います。
LAのハリウッドやビバリーヒルズ、ビーチなどの観光地付近、NYのマンハッタンの中心地やブルックリンやチェルシーなどの人気のスポットは、もう、信じられないくらい高いです。
LAノースハリウッドのランチでハンバーガーとレモネードを頼んで$40(私の滞在中は円安で約¥5600)。
名古屋のヒルトンのビュッフェが¥4000ですよ…ドウイウコト…
NYブルックリンでグリーンのみのサラダ頼んで$28(約4000)…
LAとNYどっちが高いかなんてもう分からないくらい、どっちも高いですよ。泣
ただ先述したように場所によります。
NYで宿泊していたホテルから徒歩15分ほどの場所にあるよく通っていたレストランのハンバーガーは$18(¥2520)くらいでした。
それでも十分高いけどね…泣

NYでもオフの日にはポツポツと観光に出かけ、「NYらしい場所やコト」は一通り体験させていただきました。
LA、NY共に訪れた場所なども改めてまたご紹介できたらと思います。

 

 

結果と成果

今回の渡米の目的はすでに知ってくださっている方も多いかと思いますが、
・MiHO nailsのアシスタント
・伝統工芸ネイルを広めるための活動
・現地での視察
大きく分けてこの3つでした。

結果としては、自分の思っていた以上の活動ができました。
例えばNYのネイルサロンさんでセミナーをさせていただいたり、
LAのネイルラボさんでも現地のネイリストさんに向けてのセミナーを開催させていただけたり。
思いがけずラスベガスに行って、展示会を見学させていただいたり、
そこで新たなご縁をいただいたりと。
主に「伝統工芸ネイルを広めるための活動」と言う目的に向けて、少しずつ丁寧に種を撒いて来ることが出来たんじゃないかなと思っています。

元々猪突猛進型・超短距離走タイプの石橋は壊れる前に突っ走る!!タイプなのですが、
ここ数年で色んな経験を経て、自分の性質の変化も感じつつあって。
随分と慎重になって、計画と戦略を立てるのが楽しくて、
石橋しっかり叩きます。
31歳ですから。できるなら石橋崩れて川に流されたくはないのです。笑
でも「31歳だから」で「挑戦しません」ではないんですよ。
今の私だからできる生き方があるし戦い方がある、今の私にはこれが心地良いのです。

別の場所に書いた記事から一部抜粋。

人生の分岐点

ここまでの2ヶ月のアメリカ生活の中で、多くを学び、悩み、落ち込み、反省し、私はたくさんの課題を見つけました。
ネイルアーティストとして、伝統工芸ネイルFounderとして、そして一人の人間としても。
サンディエゴへ訪れた時に出会った、16歳の少年に聞かれました。
「どうして31歳でこっちに来ようと思ったんですか?もっと若いときに来ればよかったと思いますか?」
即答でNO!今がベストタイミングだったし、今が私の人生のターニングポイントだし、まさに今、ここからがスタートだから。

 

熱い気持ちの時に書き殴った文章でしたが、まさにそう、その気持ち!
年齢なんて関係ない。
でも年齢に応じた生き方がある。
自分が心地よい生き方を選べばいい。

今これを、胸を張って言えることが、この3ヶ月の最大の成果です。

 

あ、そうそうそれから、
アメリカと言う地に恋しました。(雑な回収笑)

帰国してからも毎日想いを馳せています。
気づいたらいつも考えてしまいます。
何がそんなに良かったのか、一言でまとめる事はできないんですけれど、
好きになったんです。
多分私にはすごく合ってた。
土地も、気候も、人も、全て。
あと空気や食べ物、景色や空も。
また振り返りながらたくさん写真もUPしますね。

 

 

正直出国前は、アメリカが合わないと言って帰ってくる可能性もあるなって思ってました。
なんだかんだで私はめちゃくちゃ日本人らしい日本人だし、
人に嫌われるのが怖くてYES,NOはっきり言えないときもあるし。
「本音」の在処が自分でも分かってないことたくさんあるし。

でもでもそんな私でも、
すごく心地よく過ごせる場所でした。
こんなに友達ができるなんて思ってなかったし、
現地でも本当にたくさんの人に支えていただいて。
NY行きの飛行機でぶっ倒れた時に真っ先に駆けつけてくれたCAさんがたまたま日本人の方だったり(これとんでもない確率だったらしい)
たまたまお世話になったおうちのルームメイトの女性に至るまで、まあこんなにも親切な方に出会えて私はなんてラッキーなんでしょうと感じることが多々あって。
(ルームメイトの女性は私が貧血でぶっ倒れてからほぼ毎日健康的で美味しすぎるご飯を作ってくださいました…挙げ句の果てには帰国の際荷物が入り切らなくて困っていたら大きなスーツケースを1個くれました…神様…)

そんな出会いがあるなんて、行く前には想像もできなかったこと。
向こうでよくしてくださった方のこと、お一人お一人への感謝の気持ちをブログに綴りたいくらい、本当に支えていただきました。

 

そうか、そうね、ここまで綴って、
やっぱり「人」が好きになったんだなって思いました。
アメリカに住んでいる日本人はこれまでにたくさん苦労もされてきてるし大変なこともあって、だからこそその時手を差し伸べてくれた人にすごく感謝していて。
困っている人がいたら今度は自分が助けてあげようって、そういう考えの方に私は運よくたくさん出会えたんだと思います。
そういう循環の中に、迎え入れてくださったことが何よりも幸せでした。
Los AngelesもNew Yorkも、Orange countyもSan DiegoもLas Vegasも…たくさんの場所に訪れてたくさんの出会いがあったけれど、そこは全て同じ。

人が全て。

 

あ、アメリカに恋に落ちましたけど、
母国・日本は愛しています。
普遍的な愛です。

 

さて、久々にものすごーーーく長いブログになりましたが、笑
ざっくりと起承転結を綴ったので、まだまだ書きたいこといっぱいあります。
というかこの記事は今回の渡米の「もくじ」レベルです。
この3ヶ月で価値観ごと揺さぶられまくったわけなので、とてもじゃないけれど一記事じゃ書ききれません。笑

ここまでの長編にはさすがにならないかと思いますが、またぽつぽつと綴らせていただきますね。
気長にお待ちいただけると嬉しいです。笑

 

長い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

名古屋市伏見駅から徒歩2分。世界初、漆や螺鈿七宝などを爪に施す伝統工芸ネイルサロンです。